大学院研究室における指導体制の課題と精神的負担—ある大学院生の体験を通して考える
大学の研究室は、学問を深める場であると同時に、指導者や学生間の人間関係が重要な役割を担うコミュニティです。適切な指導体制やサポートが整っていなければ、研究活動だけでなく学生自身の精神的健康にも悪影響を与えかねません。今回は、執筆者が学生時代に研究室内で直面した問題と、精神的負担を抱えるに至った経緯について、振り返ってみようかと思います。
【過去記事】
研究室内の指導体制とその不備が引き起こした問題
私が所属していた研究室では、学部生(B4)や修士課程の学生(M1)に対して、上級生である博士課程の学生が指導を行う体制が取られていました(よく聞く徒弟制度ですね)。また例年は、B4の指導はM1が担当することになっていましたが、M1が十分な指導力を発揮できず、B4の学生が指導を求めて当時M2−博士課程の学生だった私に頼る状況が続いていました。
こうした状況は、M1の負担を軽減するために私がB4の指導を引き受ける形でしばらくの間進められました。しかし、ある時、研究室の学生(M2)から「この状況は不適切だ」という指摘が上がり、M1と私、そして問題提起をしたM2とが話し合いの場を設けることになりました。その際、M1は「B4との関係を改善したい」という意向を示し、私もその意見を尊重して、B4とM1のコミュニケーションを円滑に進めるための方法を考えることにしました。
私はその手段として、M1の行動の改善点をLINEで具体的に列挙し、翌日には「ワークシート」を作成してB4とM1がスムーズにコミュニケーションを取れるように支援しようとしました。ワークシートは、B4がM1に相談しやすくなるよう工夫したもので、私ができる最大限の助力を行おうとした結果でした。
指導教官による厳しい叱責と人格否定
しかし、M1はこれを精神的な負担と感じ、最終的に指導教官へ相談しに行きました。これにより、私は指導教官から「このようなことは頼んでいない。お前に何の権利があるんだ」「やり方が卑劣極まりない」といった言葉で激しく叱責されることとなりました。さらには「お前はコミュニケーション能力が低い」「人との距離感を掴むのが下手だ」といった言葉を投げかけられ、人格を否定されたように感じました。
それまでコミュニケーション能力の向上を目指して工夫を重ねてきた私にとって、これらの発言は自分の存在そのものを否定されたように感じられ、大きな精神的ダメージとなりました。また、指導教官が私の行動を「卑劣」と評価したことについても、当時の状況を十分に理解してもらえなかったことへの悲しみと悔しさが強く残りました。
信頼関係の崩壊とその後の研究活動への不安
指導教官からの叱責を受けたことをきっかけに、私は指導教官に対する信頼を完全に失いました。これまで、研究室の運営方針に従って後輩の指導に尽力してきたつもりであったにも関わらず、その努力が全く評価されず、逆に厳しく批判されたことで「自分がやってきたことは全て無駄だったのではないか」という自己否定感を抱くようになりました。
さらに、指導教官が「学生が楽しく過ごせれば研究は進まなくても良い」と言いながらも、「上級生として、後輩たちが心地よく研究室で過ごせるように振舞え」という矛盾した指示を出したことも、私を混乱させました。この指示は、私に対して過剰な責任を負わせるものであり、明確な役割分担やサポート体制がない中で責任だけを押し付けられているように感じたのです。
こうした矛盾した指示に加えて、「博士課程の学生が論文を3報出せば学位を与える」という指導教官の発言も、実際にはその支援が行われていないことから、ますます私は精神的に追い詰められていきました。
さらなるトラブル—他研究室の助教からの叱責
私は、指導教官との関係が悪化した後(単純に時系列的に後だっただけ)、他の研究室の後輩に研究テーマの相談を受けたので、ディスカッションをする機会がありました。ディスカッションは大いに盛り上がり、相談してきてくれた後輩も手ごたえを感じていたようでした。しかし、後日その学生の指導をしていた助教から「うちの研究室の学生とディスカッションをするな」「博士課程の学生で論文を一本も出していないやつが、化学について語る資格はない」と厳しく批判されたのです。
また、「うちの学生と関わるな」「研究室外の学生と話すときは必ず上の立場の人を通せ」といった指示を受け、研究室内外でのコミュニケーションが制限されることになりました。この指示により、私はますます孤立を深め、研究活動を続けることへの意欲を失うことになりました。
精神的負担と体調の悪化
このような状況が続いた結果、私は日常生活にも支障をきたすようになりました。無気力感や動悸、過食と食欲不振を繰り返すなど、心身の不調が顕著に表れるようになったのです。研究室に通うことも難しくなり、最終的には心療内科やカウンセリングを受けることになりました。
この時期、私は「博士課程の学生として求められる水準に達していないのではないか」「自分には博士号を取る適性がないのではないか」という疑念を抱くようになりました。一方で、「もし環境が改善されるのであれば、研究を続けたい」という希望も捨てきれず、自身の進退を巡って苦悩する日々が続いたのです。
結局...現在は...?
結局のところ博士号を無理やり3年間で取り切りましたが、抗うつ薬や睡眠薬を飲みながらの生活を始めて4年が過ぎました。
今はしがない化学メーカーの研究員をしています。
今でもしんどいことがたくさんありますが、ふと当時のことを思い出してブログにしてみました。
まだまだこんなものでは済みません。
何か加筆するかもしれませんが、一旦今回はこの辺で筆を置こうと思います。